透視カウンセラーの休日

透視カウンセラーとして5000人以上のカウンセリング経験を元に様々な気ずきや霊的なシェアができたら素敵だと思います。

命が終わる事について

私はこうした話題は本来苦手で、
ブログではあまり触れないようにして、

見ないように、聴かないようにもしていた、

それは私の根底に死に対する恐怖感がある証拠ですが、

どうしても仕事柄、人間の死に目が向けられる事も多く、

そして「誰もがいつか無くなる」

私も人も物も、地形や文化も完全に確実に変化して、
創造、持続、破壊を繰り返す、
人間のほとんどは、
自己の存在を否定されると、
それなりに傷つくのは、

根本的には自己愛でも他者愛でも同じで、

その愛こそ人間の本質だと私は思う、

さて、
臨死体験の記事はそれなりに聞いた事があるかもしれないですが、

臨死体験をした100人と会話した記者が語る、
半数の51パーセントは臨死体験の時、

先に亡くなられた親族や友人がほほ笑み、
大変心地よく幸せを感じたと語り、

後の30パーセントから40パーセントは宗教感や、
人生観も様々だが同じように、
「美しい光に導かれ幸福を感じたとも語る」

そんな、私はどうかと言えば、
かなり、昔に、
臨死体験ではないですが、

神の後ろで、至福と愛、平安と喜びに包まれ、
表現しがたいレべルの幸せに包まれ目を覚まし、

起きた時、
「どーしてこんなに体って重いんだ?」

そう感じてこれから予測される人生の不幸の荒波を想い、
ため息しかでない事も以前あった、

事実、感じたのはあのまま幸せならそれでいい、

「この世界は何故愛や至福しかないのか?」
そう思うほどではあったが、

人間には「それなりの役割があるようで」

自分が何かやらないといけないみたいだなと、
使命感でもない、
宿題を出された子供のような顔を自分がしています、汗、

こーした記事を書くのは、
訳がある、
私は感情が相手に入りやすいので、

死を身近で体験すると、複雑な心境になり、
ジョークを言えなくなりそうになる、

何度もそうした事は経験しても慣れないので苦しい、

霊を見て普通に人生を終えて
幸せそうに横切るのも見ているのに、

どうしても深刻な気分になります、
それは、「まさに肉体や自己に執着している」からなのですが、

割り切れないのも人間なのでしょうかね、

ホラー話しではないのですが、
以前、友人が亡くなり告別式が終わり、
3か月ぐらいした頃、

私がアルバイトしていたお店に、
その彼は肉体を纏いあまりにも普通に、ドアを開けて座った、

キズがあったので、
間違えるハズもない、

「ど、どーしたの?」

それしか言葉がでなかった、

すると彼は今まで見た事ないほど優しくほほ笑んでいて、
「いやー一時的に見にきただけだよ」
そー答えて後は何もしゃべらず、

幸せそうにコーヒーを飲んで、
ニコリと笑いお店を普通に出ていった、

アルバイトが終わりすぐに友人に、
「彼は生きているかもしれないよ」
そう話したが信じてもらえる訳もなく、

ただ、幸せな顔だけが焼きついていた、

少しだけ思うのは私も死が訪れたら、
死後、
彼のように、お許し?
が出たら親しい方に笑顔だけは届けたいなと思います、

最後に、
霊はだいたいは普段どうりの人格は変わらないので、

穏やかでポジティブで愛と平和でいたい物ですね、

そして文字どうり、
いつの日か「私が無くなる」
解脱できたらいいなと思います、

やはり人間やるだけで色々と、辛いのは、
もしかしたら誰もが同じなのかもしれないですね、
聖者になれたらまた別なのかもしれないですが、




風至












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